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「ディヤン・スートラ 瞑想の道」(OSHO講話録)の覚え書き

公開日: 瞑想, 気になる本

瞑想を始めて、来月で丸三年になります
5分、10分からはじめて、最近は、週に2,3日のペースで1時間瞑想しています
(別段、時間が長い方がいいわけでもありませんよ)

瞑想を続け、また、瞑想を学んだり、瞑想を本を読む中で疑問というか不安に思うことがあって、瞑想を30年以上続けている方に相談をしたんです
そうしたら、ある本をすすめられました

それが、「ディヤン・スートラ 瞑想への道」(OSHO講話録)です

「ディヤン・スートラ 瞑想の道」(OSHO講話録)

「ディヤン・スートラ 瞑想の道」(OSHO講話録)

読んでいて、私の抱えていた疑問、不安も晴れてきました

それ以上に、私が、日々、探求していることへのヒントがたくさん見つかったんです
覚え書きに、私にとって、ヒントになったところ、大切に思ったところなどを書き出しておこうと思います

「ディヤン・スートラ 瞑想への道」の覚え書き

気になった箇所を抜き出し、章ごとにまとめておきます
※赤字の部分は、私が気になった、大事だと思う箇所を赤にしているだけです

第1章 瞑想の土台

人が常に不幸なのは、自分の持てるものを忘れ、手に入らないものを得ようとするからだ。生に対してこのような基盤を持つのは、完全に間違っている。自分の持てるものを理解し、それをもとに生きる人間になりなさい。(P.19)

第2章 身体から始めなさい

わたしは、究極の意識や、神性や、内なる実存に到達したいのなら、ふたつのことが必要だとわかった。ひとつは周辺、瞑想の周辺だ。もうひとつ周辺、瞑想の周辺だ。もうひとつ重要なのは、瞑想の中心だ。瞑想の周辺と、瞑想の中心 ー もしくは瞑想の身体(ボディ)と、瞑想の魂(ソウル)と読んでもいい。[中略]瞑想の周辺、瞑想の中心、そして瞑想の成果だ。別の言葉で言えば、瞑想の土台、瞑想そのもの、そしてその成就となる。(P.46)

エネルギーは常に中立的だ。怒りによって生じたエネルギーそのものは、破壊的ではない。怒りという形で使われるから破壊的なのだ。[中略]だから身体を浄化するためには、古いブロックが解き放たれ、新しいブロックが創造的に変容されなくてはならない。(P.57)

身体を完全に浄化するには、生を創造的に生きることだ。創造的な人だけが宗教的になれる-それ以外の人は宗教的になれない。(P.68)

第3章 生の本質を見出す

創造的な方法とは彼に何をしたらいいかを教えることだ。グラスを叩いているとしたら、彼にはエネルギーがあり、何かをしたがっているということだ。あなたは、そうしてはいけないと言った。だが彼に粘土をあげて、「グラスをつくってごらん。これと同じようなグラスをね」と言う方がいい。彼のエネルギーを創造的に使うことになるだろう。(P.111)

第6章 身体と魂ー科学と宗教

わたしが話している瞑想は、何かについての瞑想ではないーむしろそれは、瞑想という境地だ。これこし、わたしが境地としての瞑想を語る際に、あなたに言わんとしていることだ。瞑想とは誰かを思い起こすことではない。瞑想とは記憶にあるすべてを落とすことであり、意識だけが残り、覚醒だけが残る境地に至ることだ。
ランプを点し、それを取り巻く物体をすっかり取り除くと、それでもランプは明かりを放ち続ける。同じように、意識からあらゆる思考や空想など、対象をすべて取り除いたら何が起こるだろう?-意識だけが残る。その純粋な意識の状態が瞑想だ。あなたは誰かに瞑想するのではない。瞑想とは、意識だけが残る境地だ。(P.192)

禁欲は常に豊かさの中から芽生えるのだ。貧しい人は身体の近くにいる。裕福な人は身体的な要求が完全に満たされ、新たに魂の必要性にようやく気づきはじめる。こうした意味で、彼は身体から自由になりはじめる。(P.206)

禁欲とは、「わたしは身体だ」ということを忘れ、「わたしは魂だ」と知るに至るための科学だ。禁欲はテクニックの問題だ。禁欲はひとつのテクニックだ。自分が身体であることを忘れ、自分が魂であるという気づきを招くための、ひとつの架橋であり、道なのだ。(P.208)

禁欲とは、何かから逃げることではない。それは変容だ。禁欲とは放棄ではなく、変容だ。禁欲とは犠牲ではなく、正しい変容だーそして、その変容の中で起こることはすべて正しい。逃げたり、放棄することによって起こることは、すべて間違いだ。(P.211)

ラグは何かにしがみつくことへの興味であり、ヴィラグは同じものを放棄することへの興味だ。ヴィートラグとは、あらゆる意味が失われたことを意味する。ヴィートラグ、すなわち欲望の超越こそゴールだ。(P.220)

第7章 意識の光

生活の中で起こるすべてについてー立ったり、座ったり、歩いたり、眠ったり、目覚めたりしているあいだー覚えておくべきことは、物事が実際にどこで起こっているかを、絶えず見る努力をするように気をつけることだ。それらは本当にあなたに起こっているのだろうか?それともあなたはただの観照者なのか?(P.231)

身体を観察しない。夜寝るとき、眠るのはあなたの身体であって、あなたではないと気づいていることが大切だ。そして朝起きるとき、起きるのはあなたの身体であって、あなたではないと気づいていることが大切だ。眠ったのはあなたではなく、あなたの身体だけだ。食べるときは、あなたの身体が食べていることに気づいていなさい。服を着るときは、服を覆うのは身体だけで、あなたではないことに気づいていなさい。するとこの気づきによって、誰かあなたを傷つけたときは、傷つけられたのは身体であって、あなたではないと想起できるだろう。こうして、たゆまぬ想起によってある地点で爆発が起き、同化が打ち破られる。(P.232)

霊的訓練の第二の要素は、思考からの自由だ。身体の空は身体の正しい観察を通して起こると言ったように、思考からの自由は、自分の思考の正しい観察を通して起こる。霊的訓練の基本要素は、正しい観察だ。この三つの段階では、正しい気づきと正しい観察によって、身体や思考や感情を見つめなければならない。
意識を通って流れる、思考の流れの傍観者になりなさい。川辺に座って川の流れを見ている人のように、マインドの傍らに座って見守りなさい。もしくは、林の中に座って取りが連なって飛んでいくのを見る人のように、ただ座って見守りなさい。または、雨空や動いていく雲を見る要領で、思考という雲がマインドという空を動いていくのをただ見守りなさい。思考という飛ぶ鳥たち、思考という流れる川・・・同じように河原に静かに佇み、あるいはただ座って見守る。あたかも河原に座っているかのように、思考が流れていくのを見守る。何もしてはいけない。邪魔をしてはだめだ。いかなる方法でもそれらの止めないこと。いかなる方法でも抑圧してはいけない。やって来る思考があったら止めてはいけない。やって来なくても、来るように強制してはいけない。あなたは単に傍観者になる。
その単純な観察の中で、あなたは思考と自分とは別であることに気づき、それを体験するだろうーなぜなら、思考を見守っている者は思考から離れており、それとは違うことが理解できるからだ。(P.235)

だから、感情の観察者になることも覚えておきなさい。あなたは最終的に、ただ純粋な「見ていること」に至らなければならない。純粋な「見ていること」保たなければならない。その純粋な「見ていること」とは知性だ。私たちは、その純粋は「見ていること」を英知と呼ぶ。その純粋な「見ていること」を意識と呼ぶ。それは、ヨーガやあらゆる宗教の最終的なゴールだ。
内なる霊的訓練の基本となる特質は、正しい観察だ。身体活動や、思考の過程や、内なる感情の流れの正しい観察。この三つの層を通り抜けて観照者になる人は、対岸に至るだろう。そして対岸に至ることは、ほとんどゴールに至ることだ。この三つのどれかにとらわれたままの人は、まだこちらの岸につながれている。いまだゴールには至っていない。(P.242)

第8章 真理ーあなたの生得権

実のところ、わたしたちは思考と落とす実験をしてきた。そして、ここで行っている実験の中で、思考がなく、考える主体しかいない境地に至るために、わたしたちは思考を極力弱めている。考える主体という言葉で意味しているのは、思考する主体だー彼だけが存在するが、彼は考えていない。そして考えないとき、見ることが起こる。このことを理解しなさいー考えることと観照することは、ふたつの相反することだ。(P.267)

光明とは、知られる物ものなく、知るものもなく、ただ純粋な知だけが残る意識の境地だ。光明とは、純粋な知だけが残ることだ。(P.271)

光明とは、対象が消えてしまうことだ。そして対象が消え去るとき、どうして知るものが存在できよう?対象が消え去るときは、知るものも消え去る。では、あとに残るものは何か?あとに残るのは、純粋な知だけだ。その知の瞬間、あなたは究極の解放を達成する。つまり、光明とは純粋な知の体験なのだ。(P.272)

エゴはエネルギーではなく、あなたの実存の状態だ。それは来て去って行くものではない。常に、あなたとともにある。あなたのあらゆる行為の背後に立っている。それはあなたの状態だ。(P.279)

エゴとはあなたの実存に関する誤解の結果だ。それは実存についての幻惑された認識だ。エゴを実存だと思うことは、縄を蛇だと思うことと同じだ。実存に近づくにつれ、あなたはエゴが存在しないことに気づく。だから、それは何者にも変容しない。決して変容することはない。それはただ、存在しないのだから!それは、そこにあるように見えた幻にすぎなかった。エゴとは無知であり、エネルギーではないーしかし無知があるなら、それはエネルギーを誤用するきっかけとなる。エネルギーのご用こそ、無知の中で起こることだ。
だから覚えておきなさい。エゴは変化しないし、変容もしない。エゴはただ消え去る。その意味ではエネルギーではないのだ。(P.282)

神とは、あなたの意識の究極なる至福の境地だ。神は人物ではなく、体験だ。だから神に会うとか、神に会いに行くとかー神があなたの前に立ち、あなたが神に見える会見といった意味で、神と対面することは決してない。あなたが見ているものは、すべて空想だ。あらゆる空想や思考が意識から消え去ったとき、あなたは突如として、自分がただこの無限の世界、この存在、この宇宙の、生きている一部に過ぎないことに気づく。心臓の鼓動は、全存在の鼓動とひとつになる。呼吸は存在とひとつになり、生命力は存在とひとつになって脈動する。いかなる境界も残らず、あなたと存在のあいだには何の違いもない。
そのときあなたは知る。「アハーム・ブラフマースミー我は神なり」と。そして「我」として知っていたものは、全存在の欠くことのできない一部であることを覚る。「我は存在なり」ーわたしはこれを、神の体験と呼ぶ。(P.285)

第9章 一度に一歩

わたしたちは両親から最初の誕生を授かる。それは誕生ではなく、もうひとつの新しい死の到来でしかない。それは、死で終わるもうひとつのサイクルだ。誕生ではなく、新たな身体を得ることにすぎない。
両親から授かるのではない、もうひとつの誕生がある。ただし、それは瞑想を通して起こる。それこそ真の誕生だ。(P.293)

意識が空であるとき、その空は存在の隠された秘密を看破する能力を、あなたに与えてくれる。するとあなたは、葉を葉としては見ない・・・葉の内側の生命が見えるようになる。そして大洋の波を波としては見ないー何を生み出すものを見はじめる。そして人々の身体を見るのではなく、その身体に脈打つ生命を感じはじめる。あなたが感じはじめるその驚きや奇跡を、言い表すすべはない。(P294)

宗教は世間に背くものではない。宗教は家庭に背くものではない。宗教は、すべてを捨てて遁世することとは無関係だ。宗教とは、あなたの意識の変容だ。外側の環境とは無関係で、あなたのマインドの状態に関わるものなのだ。それは環境の変化ではなく、マインドの変化の問題だ。あなたは自分自身を変えるのだ。(P.302)

変えるべきは、環境ではなく自分自身だ。
環境を変えるのは無意味だ。環境を変えるのは欺くことだ。なぜなら、そうすれば、あることに気づかないで済むからだ。新しい環境、新しい静かな雰囲気の中では、自分は沈黙したと考え始めるかもしれない。
好ましくない環境では存続できないような沈黙は、まったく沈黙などではない。だから知性ある人は、好ましくない環境で沈黙を実践することを選ぶ。なぜなら、こうした好ましくない環境の中で沈黙を達成したら、それこそ本物の沈黙だからだ。(P.303)

「ディヤン・スートラ 瞑想への道」を読み終わって

「ディヤン・スートラ 瞑想への道」を読んで、すっきりしたこともたくさんありましたが、あらたな問いがいくつも生まれました
また、この問いをもって、探求していきます
私の場合、おおむね、仕事、お店を通して、、、

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Comment

  1. シャンティナート より:

    30年くらい瞑想をされている方に勧められてディヤンスートラを検索し、たこ梅について、社員の成長について、植物について、楽しく勉強させて頂きました。いつか大阪に行ったら行ってみたいので、覚え書きとして送信させて頂きました。

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